絶えず流れる光: 緑 (2019)

フィクストメディア: Wave Field Synthesis

作者自身の持つ共感覚―音の高さにより、かすかではあるが異なる色が感じられる―を使うことを実験している。
この作品では緑をテーマとしており、言葉として「緑」と認識できる色が感じられる音で主に構築されている。
変化し続ける色や光の流れを、音として空間に実現することを模索した。

計画された記憶 18-DH (2018)

オーディオビジュアル: 映像、8chサウンド
6’40”

これまでオーディオビジュアル作品群の制作を通して、聴覚的要素と視覚的要素との一致や統合を模索してきた。この作品では、「人はどの瞬間に、自らの記憶と外部刺激との関連性が認識できなくなるのか」という問いに、ひとつの答えを見出そうと試みた。

外界から窓を通して入ってくる日常的な音から始まり、徐々に催眠状態に入るかのように曖昧な姿に変化する。それが飽和すると、記憶が脳内で明滅するようにあらゆる音や映像が断片的・非連続的に入れ替わる。

色―声(しき―しょう) (2018)

オーディオビジュアル: 映像、2chサウンド
5’30”


映像と音によるこの作品において、色彩と音響の関係性は私自身が音を聴くときに連想される視覚的イメージをもとにしており、両方のイベントが同時に起こることによる「色(視覚)」と「声(聴覚)」の混乱および錯覚の誘発を試みている。

色―触(しき―そく) α (2018)

オーディオビジュアル: 映像、2chサウンド
7′

映像には、暗い背景の上に人の手が現れる。その手は、指をゆっくり閉じる、ゆっくり開く、指で平面をなぞる、軽く叩くなどといった単純で直感的な動作を行う。この一つ一つの動作に同期して、無機質な物音が聞こえる。

私の全創作に通底しているコンセプトとして、「鑑賞者がただそこにあるものを、一人ひとりが持つ独自の見え方・聴こえ方によって純粋に体験できる」作品制作を目指している。そのためには、作者は作品によって「作品にあらわれているものとは全く別の何か」を表象したり演出したりすることを辞めると同時に、このような純粋な体験のためにはある程度の時間的持続が必要であり、そのための鑑賞者の興味の喚起と持続は必要であると考えた。

この作品はその第一のステップである。素材として手を選択したのは、鑑賞者の日常的・直感的な運動感覚に訴えたかったためである。またその動作は、別の言葉や感情などを表しうるサインやジェスチャーを可能な限り排したものが選択されている。一方で、手の動作と音が完全に一致したものだけで作品を構成した場合、鑑賞者はそれが作品として並べられていることについての意味や象徴を解釈しようとしてしまうだろうと考えた。そのため、飽くまでも純粋に視覚的・聴覚的情報に意識が集中し続けられる手立てを取る必要があった。そこで採用したのが、「動き」という一点によって関連付けられた、しかしわずかにズレが生じている音を同期させるという手段である。

鑑賞者は、手の動きからどのような音が鳴るかを経験的・直感的に想起する。映像には手が現れるのみであり、その他のオブジェクトは不在であるため、そもそも音が聞こえないはずの動作も多く含まれている。しかし実際に作品から聞こえるのは、たとえば指を開いた状態からゆっくりと握る動作には紙を丸めるときのくしゃくしゃという音、指でなぞる動作には石同士をゆっくりこする音などである。このように、複数の感覚間 (視覚と聴覚) の情報が限りなく近いと同時に、そこに明確なズレが生じているとき、鑑賞者は映像では不在であるはずのオブジェクトを音によって幻視したり、自身の手の運動感覚を通した触覚的な異物感やむず痒さのようなある種の不快感を錯覚しうる。