色―触(しき―そく) α (2018)

オーディオビジュアル: 映像、2chサウンド
7′

映像には、暗い背景の上に人の手が現れる。その手は、指をゆっくり閉じる、ゆっくり開く、指で平面をなぞる、軽く叩くなどといった単純で直感的な動作を行う。この一つ一つの動作に同期して、無機質な物音が聞こえる。

私の全創作に通底しているコンセプトとして、「鑑賞者がただそこにあるものを、一人ひとりが持つ独自の見え方・聴こえ方によって純粋に体験できる」作品制作を目指している。そのためには、作者は作品によって「作品にあらわれているものとは全く別の何か」を表象したり演出したりすることを辞めると同時に、このような純粋な体験のためにはある程度の時間的持続が必要であり、そのための鑑賞者の興味の喚起と持続は必要であると考えた。

この作品はその第一のステップである。素材として手を選択したのは、鑑賞者の日常的・直感的な運動感覚に訴えたかったためである。またその動作は、別の言葉や感情などを表しうるサインやジェスチャーを可能な限り排したものが選択されている。一方で、手の動作と音が完全に一致したものだけで作品を構成した場合、鑑賞者はそれが作品として並べられていることについての意味や象徴を解釈しようとしてしまうだろうと考えた。そのため、飽くまでも純粋に視覚的・聴覚的情報に意識が集中し続けられる手立てを取る必要があった。そこで採用したのが、「動き」という一点によって関連付けられた、しかしわずかにズレが生じている音を同期させるという手段である。

鑑賞者は、手の動きからどのような音が鳴るかを経験的・直感的に想起する。映像には手が現れるのみであり、その他のオブジェクトは不在であるため、そもそも音が聞こえないはずの動作も多く含まれている。しかし実際に作品から聞こえるのは、たとえば指を開いた状態からゆっくりと握る動作には紙を丸めるときのくしゃくしゃという音、指でなぞる動作には石同士をゆっくりこする音などである。このように、複数の感覚間 (視覚と聴覚) の情報が限りなく近いと同時に、そこに明確なズレが生じているとき、鑑賞者は映像では不在であるはずのオブジェクトを音によって幻視したり、自身の手の運動感覚を通した触覚的な異物感やむず痒さのようなある種の不快感を錯覚しうる。